「魚釣りが好き」なアングラーの精神分析

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アングラー(釣り人)について、常々感じていたことがある。

”趣味”としてある程度継続した者が行き着く先は「2つ」あることを。

魚を釣るのが好きなアングラー”については前述したが、今回は”魚釣りをすることが好きなアングラー”について。

太公望の逸話がイメージとして浮かびやすいかもしれない。

でも実態は、「パーソナルスペース」を重んじる、”らしい”人達がそれに当たる。

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「魚釣りが好きなタイプ」は特にここがうるさい

マナーにうるさい

動物愛護の問題に敏感

釣れない理由を押し付ける

こだわりが枷になる

だいたいこんなところ。

「魚を釣るのが好きなタイプ」とはほぼ対極になるが、掘り下げてみよう。

マナーにうるさい理由

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釣りをしている時間が好きなタイプなので、自分の空間を大切にする

だからこそ他人に気を使うため、マナーには特にうるさくなる。

啓発するよりも受け身であり、陰口から共感を得て、外堀から埋めていくタイプ。

釣り人同士の間隔は、明確なマナーも存在しないし、人それぞれ。

「ゴミ」はルールで縛られているが、「リリース」については一部のみルールで、あとは人それぞれ。

自己の考えが全てと信じるほど、他者との垣根は深くなるだけ。

動物愛護の問題に敏感な理由

魚を釣ること自体、団体からは毛嫌いされるものだが──。「ゲームフィッシング」としての楽しみ方が曖昧。

釣ることは好き、だが活かす方法を知らない。

とかく、”かわいそう”の方向性がちょっとズレている。

リリース自体は良いこと。けれども、針にかかった瞬間、魚にとっては生死の判定がなされている。

採寸したり、グリップで掴み撮影している間、お魚さんにとっては宇宙空間に放り出されているようなもの。

それらを”かわいそう”と受け取るか、必要なことかどうか──。

価値観はアングラー毎に違うことだろう。

釣れない理由を探し続ける

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魚が釣れない理由を”自然のせい”にするか、はたまた”自分のせい”にするか──。

ストイックに方法を求める故、言い訳がましい結論に行き着きやすい。

釣りの何に楽しさを見出しているのか」。その定義が曖昧である。

理論はいくら講じても、実行しなければ空論になる。

実行しようとしても理由をつけたがるため、傍から見れば面倒な存在に映る。

こだわりは成長を止め視野が狭くなる

好きなことを追い続けることは、それだけを学んでいくこと。

ある1分野を極めることには大切であるが、汎用するとなれば平凡になる。特定には強いが、他所に行くとメッキが剥がれやすい。

ここで自分のやり方を信じ続ける限り、それ以上の成長は望めない。

自分の世界を持つため、保守的になり、他を理解しようとしない。

役職でいえば、部長にはなれるが、代表取締役にはなれないタイプ。

寡黙だが道を切り開いていく「研究者タイプ」が多い

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ある分野を突き進むため、ひょんなところで光明を見つけ、新しい何かを見つけることもある。

それが世に認められ浸透するかは別だが、改革する点においては不可欠な存在

だからこそ、「魚を釣ることだけが好きな人」は”遊び”に映り、相容れない。

同じ趣味でありながら、方向性が違うだけで、分かり合えないのである。

発展の根幹を支えるのは「研究」と「開発」、そして「発想」。

”魚釣りが好き”と、”魚を釣るのが好き”は、相反している。だから「着想」が難しい。

──しかし、お互いの良いところを融通しあってこそ、「メソッド」と「パターン」が生まれるのではないだろうか。

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