モクズガニ(ズガニ・ツガニ・ヤマタロウガニ)を生や半生で食べてはいけません。このカニはウェステルマン肺吸虫という寄生虫の第2中間宿主で、加熱が不十分なまま口に入れると人に感染します。そして安全を決めるのは「何分茹でたか」ではなく「身の中心部まで確実に火が通ったか」です。さらに、さばいた包丁やまな板を洗わずに生野菜を切るという、食べる前の工程からの感染ルートも公的機関が明記しています。この記事では、国立健康危機管理研究機構(JIHS)・食品安全委員会・東京都・大学病院の一次情報を突き合わせて、公表されている加熱条件と、その数字をモクズガニにそのまま当てはめられない理由を整理します。
この記事の要点:モクズガニの生食・半生食は禁忌。公的機関は肺吸虫の加熱について「中心部まで十分に加熱」としか示しておらず、「モクズガニは何分茹でれば安全」という公的な基準は存在しません。研究報告として存在する数値はサワガニでの実験値です。この記事では、その事実を隠さず書きます。
結論——生・半生は禁忌、安全の分かれ目は「時間」ではなく「中心部まで火が通ったか」
先に判断の結論だけ書きます。第一に、モクズガニは生食不可です。市場魚貝類図鑑もウェステルマン肺吸虫の中間宿主であることを理由に生食不可と明記しています。第二に、加熱の目安として世に出回っている「沸騰後10〜15分」「煮立ってから約20分」といった数字は、あくまで調理としての目安であり、公的機関が安全基準として示したものではありません。第三に、食べる工程だけでなくさばく工程にも感染経路があり、包丁・まな板・手を経由した二次汚染で感染した例が公的資料に記載されています。
つまりこのテーマは「加熱すれば大丈夫」の一言では終わりません。殻の厚み、個体の大きさ、鍋に何匹入れたか、蒸し器の詰め方によって中心部が必要な温度に達するまでの時間は変わりますし、そもそも加熱の前後に別の感染ルートが口を開けています。判断の全体像を表にすると次のようになります。
| 食べ方・扱い方 | 判断 | 理由(根拠の所在) |
|---|---|---|
| 刺身・生のまま酒に漬ける(酔っ払い蟹の類) | 禁止 | 東京都の食品衛生情報が、近年の感染様式として酔っ払い蟹・カンジャンケジャン等による淡水ガニの生食を挙げている |
| 生のまま叩き潰してカニ汁にし、短時間だけ煮る | 危険 | 潰す工程で調理器具と手が汚染され、その後の加熱が短いと中心部に生残の余地が残る |
| 生のまま殻を割ってさばき、後で加熱する | 非推奨 | さばいた器具を経由した二次汚染が公的資料で「感染経路として重要」とされている |
| 丸のまま十分に加熱し、加熱後に割って食べる | 推奨 | 身と器具の汚染機会が最小。中心部まで火を通す確認もしやすい |
| 加熱したカニを扱った後、器具を洗わず生野菜を切る | 危険 | JIHSが二次汚染された生野菜の喫食による感染を明記している |
以下、なぜこの判断になるのかを順に見ていきます。なお本記事に記載した制度・公開資料の内容は2026年8月時点で確認できた公開情報にもとづくもので、最新の公式発表と現地の掲示・漁協の案内が常に優先されます。
モクズガニに潜むウェステルマン肺吸虫——生活環とサワガニとの違い
日本で人に寄生する肺吸虫は、ウェステルマン肺吸虫と宮崎肺吸虫の2種とされています。東邦大学医療センター大森病院 臨床検査部のコラムによれば、1986年から2005年までの国内の肺吸虫症診断数は200件以上あり、そのうち95パーセントがウェステルマン肺吸虫による感染です。同コラムは、近年でもウェステルマン肺吸虫による感染例が年間40〜50件程度発生していると推測される、とも記しています。「昔の病気」ではありません。
生活環はこうです。終宿主(人やイヌ、タヌキなど)の肺に寄生した成虫が産んだ卵は、痰とともに、あるいは痰が飲み込まれて便とともに体外に出ます。食品安全委員会の平成22年度調査報告書によれば、卵は湿潤な環境の20〜30℃でおよそ2週間で孵化し、第1中間宿主の巻貝(ウェステルマン肺吸虫はカワニナ、宮崎肺吸虫はホラアナミジンニナなど)に侵入して増殖します。そこから出たセルカリアが第2中間宿主である淡水産のカニに入り込み、メタセルカリアという感染型の幼虫になって、食べられる日を待ちます。
サワガニとモクズガニでは寄生する虫種が違う
ここは意外と知られていない差です。東京都保健医療局「食品衛生の窓」の肺吸虫のページは、サワガニとモクズガニの両方から感染する事例があるとしたうえで、サワガニには2種とも寄生するが、モクズガニに寄生するのはウェステルマン肺吸虫のみと整理しています。食品安全委員会の報告書はさらに細かく、サワガニに入るのは宮崎肺吸虫とウェステルマン肺吸虫の2倍体型、モクズガニに入るのはウェステルマン肺吸虫の3倍体型としています。後述するように、この倍数体の違いは症状の出方にも関わってきます。
寄生率は「たまにいる」という水準ではない
感染リスクを実感するための数字を挙げます。東邦大学のコラムが紹介する2011年から2014年の千葉県でのサワガニ調査では、230匹中217匹にウェステルマン肺吸虫の寄生が確認されたと報告されています。またJIHSの感染症情報提供サイトに掲載されたIASR報告「わが国における肺吸虫症の発生状況」(46巻539号・2025年1月)では、東京都内で食用として販売されたサワガニの17パーセントでウェステルマン肺吸虫または宮崎肺吸虫の寄生が確認されたとされています。いずれもサワガニのデータであり、モクズガニの寄生率をそのまま示すものではありませんが、「淡水のカニに肺吸虫がいるのは例外ではない」という前提で扱うべきことは分かります。
カニのどこに潜むのか——メタセルカリア1個で感染は成立する
メタセルカリアがカニのどこにいるのかは、調理の手順を考えるうえで重要です。東邦大学のコラムは、メタセルカリアがカニのエラや筋肉内で成長して感染を待つと説明しています。つまり、脚の身にも、甲羅を開けたところにあるエラにも潜んでいる可能性があるということです。「カニ味噌だけなら」「脚の先だけなら」という部位による安全論は成り立ちません。
そして、量の議論も成り立ちません。食品安全委員会の報告書には、好適な終宿主ではメタセルカリア1個の投与でも感染が成立して成虫に発育すると記載されています。人体症例でも肺から1虫体だけが得られた例が記録されています。食中毒菌のように「一定量を超えなければ発症しない」というモデルではなく、たった1個が中心部で生き残っていれば成立し得る、という性質のリスクです。ここが「だいたい火が通っていれば大丈夫」という感覚が通用しない理由です。
泥抜きは寄生虫対策にはならない
モクズガニを食べる人の間では、数日から1週間ほど真水で泥抜き(糞出し)をしてから調理するのが定番になっています。これは泥臭さを抜き、消化管の内容物を出すための工程であり、筋肉やエラの中にいるメタセルカリアには何の効果もありません。泥抜きをしたから生でいい、という理屈は成り立たないことを、はっきり押さえてください。同様に、真水で長く飼っても、活かして持ち帰っても、寄生虫の状態は変わりません。
感染するとどうなるか——約2か月遅れて肺に症状が出る
この寄生虫のたちの悪さは、症状が出るまでの時間差にあります。JIHSの肺吸虫症のページは、潜伏期間を「2か月(通常1か月から2か月)」としています。東邦大学のコラムも、口から入ったメタセルカリアが約2か月かけて小腸から腸壁を貫通し、腹腔に出て胸腔から肺へ移動する経路を説明しています。カニを食べた翌日に腹を下すような分かりやすい反応は起きません。2か月後に咳が出はじめたとき、大半の人は「あのときのカニ」と結びつけられません。
症状については、JIHSが「咳、血痰、発熱、胸痛などの呼吸器症状」が出現し、「胸水や自然気胸を起こすことがある」と記しています。さらに「虫体が脳などへ迷入すると、けいれん発作や神経症状を呈する」ともあります。食品安全委員会の報告書によれば、ウェステルマン肺吸虫の3倍体型の感染では虫体が肺の虫嚢内で成熟するため魚の腸のような血痰が出るのに対し、2倍体型や宮崎肺吸虫の感染では自然気胸・胸水貯留・胸痛が主症状になることが多いとされています。モクズガニ由来は3倍体型なので、血痰の型に当たりやすい、という関係になります。
受診したら「淡水のカニを食べた」と自分から言う
実用的にいちばん大事なのはここです。肺に空洞や結節があって血痰が出る、という所見は肺結核や肺がんとも重なります。日本呼吸器学会の一般向け解説も、肺吸虫症では「血液検査では好酸球増加がよく認められます」と記しています。ただし血液の所見だけで虫を名指しできるわけではなく、病歴・食歴・渡航歴からこの病気を疑うことが診断の入り口になります。逆に言えば、患者が食歴を言わないと疑ってもらえない可能性があるということです。淡水や汽水のカニ、あるいはイノシシ・シカの肉を食べた記憶があるなら、受診時にいつ何をどう食べたかを必ず申告してください。治療は抗寄生虫薬(プラジカンテルが第一選択薬とされています)で行われ、脳の病変を生じた症例などでは外科的治療が併用されます。診断は喀痰や糞便からの虫卵検出、血清学的検査、遺伝子検出によります。
カニだけではない——イノシシ・シカのジビエも同じ入口
JIHSは感染経路として「メタセルカリアを保有する淡水ガニ、イノシシ、シカ肉などの生食または加熱不十分な状態での喫食」を挙げています。食品安全委員会の報告書によれば、イノシシはカニを食べて感染し、脱嚢したメタセルカリアが筋肉内に長く残ります。つまりイノシシは待機宿主として虫を溜め込む役回りです。JIHSのIASR報告「わが国における肺吸虫症の発生現況」(38巻446号・2017年4月)では、原因食品として淡水産のカニが59パーセントと過半数を占め、次いでイノシシ肉が33パーセントで、関東ではカニ由来の割合が94パーセントと極めて高い一方、九州ではイノシシ肉由来が52パーセントと半数を超えるという地域差も示されています。別のIASR報告(46巻539号・2025年1月)では、2001年から2022年の間に宮崎大学医学部感染症学講座が診断に関与した患者は764名で、そのうち約34パーセントを外国人が占めたとされています。ジビエのレアやたたきも、モクズガニの生食とまったく同じリスクの入口です。
加熱条件を数字で見る——公表されている実験値と、そのまま使えない理由
ここが本題です。まず正直に書きます。公的機関は、モクズガニについて「何度で何分」という安全基準を公表していません。 JIHSの予防法は「食品の十分な加熱、調理器具や手指などを介した二次汚染防止等の衛生管理の徹底、手洗いの励行」であり、温度も時間も書かれていません。食品安全委員会の一般向けページ「寄生虫による食中毒にご注意ください」も、淡水性カニ類については「淡水魚や淡水性カニ類などは生食を避け、よく加熱して食べましょう」、魚介類全般については「中心まで火がとおるよう十分加熱して食べましょう」と述べるにとどまり、温度も時間も示していません。東京都多摩小平保健所の食品衛生情報も「中心部まで十分に加熱してから食べましょう」です。この記事のタイトルに分数を書かなかったのは、書ける根拠がないからです。
そのうえで、研究報告や海外機関の勧告として公表されている数値は存在します。ただし条件つきです。
| 条件 | 結果・位置づけ | 出典と対象 |
|---|---|---|
| 55℃で2分の加熱 | メタセルカリアは感染性を保持(不十分) | 食品安全委員会の報告書に記載された専門家コメント。対象はウェステルマン肺吸虫2倍体型に感染したサワガニ |
| 55℃で5分間の加熱 | メタセルカリアは死滅し感染力を失う | 同報告書が引用する研究報告(2010年)。対象は同じくサワガニ |
| 55℃で10分間の加熱 | 感染は予防できると考えられるという報告 | 同報告書の予防方法の記述。対象はサワガニ |
| 63℃まで加熱 | 肺吸虫類の予防として推奨 | 同報告書が引用する米国CDCの予防・管理情報 |
| マイナス18℃で100分以上の冷凍 | 加熱と並ぶ有効な処理として紹介 | 東邦大学医療センター大森病院 臨床検査部のコラム |
| 中心部75℃で1分間以上 | 加熱調理の一般的な考え方(肺吸虫専用の基準ではない) | 厚生労働省の大量調理施設衛生管理マニュアル |
読み方その1:温度に「達した後」の保持時間が要る
この表でいちばん大事なのは、55℃2分では感染性が残り、55℃5分で死滅する、という2行が並んでいることです。身の中心が目標温度に届いた瞬間ではなく、そこから一定時間その温度を保つ必要があるという構造がここに表れています。「沸騰した湯に入れて赤くなったから終わり」という判断が危険なのは、赤くなるのは殻の色素の変化であって、中心部の温度履歴とは別の話だからです。
読み方その2:これはサワガニの実験値であってモクズガニの基準ではない
表に挙げた55℃系の数値は、いずれもサワガニを対象にした報告です。サワガニは甲幅がおおむね3センチ前後の小型種で、身が薄く、湯に入れれば中心部の温度はすぐ追いつきます。一方モクズガニは、浜名湖の漁獲物を調べた研究報告(岡本、水産増殖52巻1号、2004年)では水揚げされた個体の甲幅が37ミリから84ミリの範囲にあったとされており、大型個体では甲幅8センチ級になります。殻は厚く、ハサミの付け根には身が詰まっています。同じ55℃5分でも、「中心部が55℃で5分」に到達するまでに要する外側からの加熱時間は、サワガニとモクズガニで別物です。ここを取り違えると、数字を守ったつもりで守れていないという最悪の状態になります。
読み方その3:調理案内の分数は目安であって安全基準ではない
茨城県水産試験場が公開しているモクズガニの調理案内(内水面のレシピ集「いばらきの川の幸 おいしく食べciao!」)は、カニは湯からではなく必ず水から入れること、ふたをして強火で煮て、煮立ったらアクを取り、そこから中火でさらに約20分煮ることを示しています(全体の調理時間の目安は約40分)。一方、「ズガニの茹で時間」として検索でよく出てくる沸騰後10分から15分という数字は、一般のレシピサイトに多いものです。同じモクズガニの塩茹でも、どの案内を見るかで示される時間には幅があります。いずれも身がほぐしやすく味がのる状態に仕上げるための調理の目安であって、寄生虫対策として検証された安全基準ではありません。県の水産試験場の調理案内が煮立ってから約20分をとっているのに対し、レシピサイトの10〜15分は短い側の数字であることを踏まえてください。そのうえで、次の条件が崩れればどちらの時間も意味を失います。冷たい水から大量のカニを一度に入れて湯温が下がった場合、鍋に対してカニを詰め込みすぎた場合、加熱の途中で追加のカニを入れた場合、蒸し器に隙間なく並べて蒸気が回らなかった場合です。時計ではなく状態で判断してください。身が中心部まで白く不透明に変わり、甲羅の内側の水分が完全に熱くなっていることが最低条件です。大型個体や、卵を抱えて身が詰まった個体は、同じ鍋の小型個体より長く加熱します。中心温度計を持っているなら、いちばん厚い部分に差して確認するのが確実です。
冷凍については、加熱の代わりに家庭で運用することを推奨しません。出典のコラムは「マイナス18℃100分以上で冷凍処理することが有効」と記すのみで、それが庫内の設定温度なのか食材の中心温度なのかまでは明記していません。ここで庫内の設定が届いていれば中身も届いたとみなすのは危険です。家庭用冷凍庫はドアの開閉で温度が変動しますし、厚みのあるカニの中心が確実にその温度域まで落ちて必要な時間を保ったことを、家庭で確認する手段がないからです。淡水魚介の寄生虫全般に共通する考え方は、淡水魚を刺身で食べてはいけない理由|顎口虫・肝吸虫・横川吸虫の危険でも整理しています。淡水と汽水では、海の魚とは相手にする寄生虫の顔ぶれがまるで変わります。
危ないのは食べる時だけではない——包丁・まな板・手からの二次汚染
ここが、この記事でいちばん伝えたい部分です。JIHSは肺吸虫症の感染経路として、生食・加熱不十分な喫食に加えて、「カニを調理した際に汚染された調理器具を介し、二次汚染された生野菜などの喫食により感染する場合もある」と明記しています。食品安全委員会の報告書はさらに踏み込み、カニの調理過程でメタセルカリアに汚染された調理器具を介して経口的にメタセルカリアが摂取されることは「感染経路として重要」だと書いています。つまり、カニを一口も食べていない家族が、そのあと作られたサラダで感染し得るということです。
なぜそんなことが起きるのか。生きたカニの体表・エラ・関節の隙間にはメタセルカリアが付いています。生きたまま殻を割ったり、脚をもいだり、ブラシで洗ったりすると、体液や細かい破片が包丁・まな板・シンク・手・ふきんに広がります。そのまま同じまな板でキュウリを刻めば、加熱されないまま口に入る経路が完成します。台所の動線として整理すると、危険な順序は「生きたカニをさばく、器具をざっと流す、生野菜を切る」です。
台所での実務手順
事故を減らす手順は次のとおりです。まず、生野菜やその日に生で食べるものは、カニに触る前にすべて切って冷蔵庫にしまう。これが最も確実で、道具の数も増えません。次に、可能な限り丸のまま加熱してから割る。カニ汁のように潰す工程が必要な料理でも、先に加熱してから潰せば汚染の広がりを抑えられます。生きたまま扱う工程がどうしても要る場合は、カニ専用のまな板とボウルを決め、他の食材と交差させないでください。
作業後は、包丁・まな板・ボウル・ハサミ・シンクまわりを洗剤でしっかり洗い、熱湯や次亜塩素酸ナトリウム系の台所用漂白剤で消毒します。東京都の食品衛生情報も「調理に使った包丁やまな板はしっかり洗浄・消毒しましょう」と明記しています。ふきんとスポンジも忘れがちな汚染源です。手洗いは石けんで、指先・爪の間・手首まで。JIHSが予防法の3本柱として「十分な加熱」「二次汚染防止の衛生管理」「手洗いの励行」を並べているのは、この3つがどれか1つ欠けると成立してしまうからです。
調理法別の注意点——カニ汁・蒸し・唐揚げ・カニ味噌
モクズガニは各地に郷土食があり、宮崎のカニ巻き汁、大分のがん汁、高知のツガニ汁などが知られています。調理法ごとに注意点が違うので分けて見ます。
カニ汁・カニ巻き汁(最も注意が必要)
生のカニをそのまま石臼やミキサーで叩き潰し、漉して味噌汁にする作り方が各地に伝わっています。これは生の破片を台所じゅうに広げる工程を含み、さらに仕上げの加熱が短いと中心部の話以前に危うい料理です。作るなら、潰す前に一度しっかり加熱する、潰した後の汁を沸騰させてから十分に煮る、潰し器具を専用にして作業後すぐ洗浄消毒する、という3点を守ってください。「昔からこうしている」は安全性の根拠になりません。
塩茹で
湯を沸かしてから入れる、鍋に詰め込みすぎない、途中でカニを追加しない、が基本です。カニは熱い湯に入れると暴れて脚が取れるため、氷水で締めてから入れる、あるいは水から加熱する作り方もありますが、水から始める場合は沸騰してからの時間で数えるようにしてください。大きい個体は同じ鍋の小さい個体より長めに。茹で上がりを割ったとき、身の中心が半透明に残っていたら加熱不足です。
蒸し
蒸しは香りと旨味が逃げにくい調理法ですが、蒸気が回るまでの立ち上がりが遅いのが弱点です。蒸し器に隙間なく並べる、冷蔵庫から出したての冷たい個体を入れる、途中で蓋を開ける、といった操作は中心部の到達を遅らせます。段を重ねるなら、上段と下段で火の通りが変わることを前提に、上段は長めに見る。加熱後は必ず割って中心を確認します。
唐揚げ・素揚げ
小型個体を丸ごと揚げる食べ方は殻ごと食べられて人気ですが、殻が香ばしく色づくことと、中心部に火が通ることは別です。高温で短時間だと外だけ仕上がります。厚みのある個体は半分に割ってから揚げる、二度揚げで中心まで熱を入れる、といった工夫が要ります。また、割ってから揚げる場合は「生の状態で割る」ことになるので、前節の器具の扱いが効いてきます。
カニ味噌・内子
秋から冬にかけての落ちガニは内子が入って濃厚になりますが、甲羅の内側は加熱後も半生の状態が残りやすい部位です。とろりとした食感を残そうとして加熱を抑えるのは、この記事の趣旨からはおすすめしません。甲羅に日本酒を注いで炙る食べ方も、火が入りきる前に飲み干す形になりやすいので注意してください。海産のカニ、たとえばワタリガニなら加熱の考え方はまた別になります。海のカニの調理はワタリガニ(ガザミ)の料理レシピ完全版にまとめてありますが、淡水・汽水のカニと同じ感覚で扱わないことが重要です。
そして、生で漬けるすべての料理
東京都の食品衛生情報は、近年の感染様式として、パパイヤサラダなどのエスニック料理、カンジャンケジャンなどの韓国料理、酔っ払い蟹などの中華料理によるサワガニやモクズガニの生食を挙げ、令和5年1月に都内でウェステルマン肺吸虫による食中毒が発生し、患者はモクズガニなどを生食していたと報告しています。酒・醤油・唐辛子に漬けても寄生虫は死にません。アルコールも塩も酢も、この目的では加熱の代わりになりません。
獲る前に確認すること——漁業権・遊漁規則と、上海蟹(特定外来生物)の話
モクズガニは通し回遊性のカニで、川の淡水域で成長し、成熟すると産卵のために川を下ります。秋から冬にかけて下る群れが、いわゆる落ちガニです。浜名湖については、都田川の河口域にあたる汽水域として、岡本による研究報告(水産増殖52巻1号、2004年)が気賀市場の水揚げを分析しており、1989年から1998年の10年間の年平均漁獲量は約831.4キログラム、年平均単価は747.6円/キログラムだったとされています。月別平均漁獲量とCPUEは秋と春にピークをもつ二峰型を示し、雌の75.9パーセントが抱卵しており、この個体群の繁殖期は9月から翌年5月にかけての9か月間とされています。浜名湖がモクズガニの繁殖の場として機能していることが、地元のデータとして残っているわけです。
生息していることと、獲ってよいことは別
ここは制度の話なので慎重に書きます。静岡県が公開している内水面漁業権一覧(令和5年時点で公開されている資料)を確認すると、モクズガニを漁業権の対象水産動物として掲げているのは、河津川・稲生沢川・狩野川・興津川の各漁協です。一方、天竜川本流や支流を漁場とする各漁協の対象種の欄には、アユ・コイ・フナ・ウナギ・アマゴ・ニジマス・オイカワ・ワカサギ・ウグイといった魚種が並んでいます。
ただし、一覧に対象種として載っていないことは「自由に獲ってよい」という意味ではありません。内水面では都道府県の漁業調整規則や内水面漁場管理委員会の指示によって、漁具・漁法(カニカゴなどの使用可否を含む)、禁止期間、禁止区域が別に定められている場合があります。河川ごと・区間ごとにルールが違うのがこの分野の常で、一覧表の1行だけで判断するのは危険です。獲りに行く前に、静岡県公式ホームページの内水面における漁業権、漁協及び遊漁規則についてを確認し、必ずその河川の地元漁協に問い合わせてください。県内の規制の全体像は2026年版 静岡県遊漁規則・釣り場規制最新情報まとめにも整理しています。現地の掲示と漁協の最新案内が常に優先されます。
加えて、浜名湖は海面として扱われる水域であり、内水面の漁業権制度とは枠組みが別です。同じ「モクズガニを獲る」という行為でも、川で行うか湖で行うかで参照すべきルールが変わります。制度を混ぜて理解しないでください。汽水域の甲殻類という点では、テナガエビ料理レシピ完全版|浜名湖・天竜川で釣れた夏の風物詩で扱っているテナガエビも同じ水域に暮らす仲間ですが、こちらも加熱して食べるのが前提です。
上海蟹(チュウゴクモクズガニ)を持ち帰らない
モクズガニによく似た近縁種にチュウゴクモクズガニ、いわゆる上海蟹がいます。見分け方として、甲羅の前側縁の突起がモクズガニは3つ、チュウゴクモクズガニは4つとされています。チュウゴクモクズガニは外来生物法の特定外来生物に指定されており、生きたままの運搬・保管・飼養などが規制されています(2026年8月時点の公開情報)。国内の河川で万一これらしき個体に出会っても、生かしたまま持ち帰る行為は法に触れる可能性があります。判断に迷う個体は持ち帰らず、詳細は環境省の外来生物法のページで最新の指定状況を確認してください。そして言うまでもなく、上海蟹も淡水のカニです。中華料理の酔っ払い蟹が肺吸虫の感染様式として挙げられているのは、まさにこの種を生で漬けるからです。
最後にもう一度まとめます。モクズガニは味の濃い、秋から冬の素晴らしい食材です。ただしそれは中心部まで確実に火を通し、さばいた器具を必ず洗浄・消毒するという2条件を満たしたうえでの話です。「何分茹でれば安全」という数字を探している人には物足りない答えかもしれませんが、公的機関が数字を出していない以上、それらしい分数を掲げるほうが不誠実です。時計ではなく、身の中心の状態を見てください。そして万一、カニやジビエを食べた後に咳・血痰・胸の痛みが出たら、2か月前の食事まで遡って医師に伝えてください。
この記事で参照した一次情報
- 国立健康危機管理研究機構(JIHS)感染症情報提供サイト「肺吸虫症」https://id-info.jihs.go.jp/infectious-diseases/paragonimiasis/index.html
- JIHS感染症情報提供サイト IASR「わが国における肺吸虫症の発生状況」46巻539号(2025年1月)https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/iasr/46/539/article/070/index.html
- JIHS感染症情報提供サイト IASR「わが国における肺吸虫症の発生現況」38巻446号(2017年4月)https://id-info.jihs.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-reference/7214-446r05.html
- 食品安全委員会 平成22年度食品安全確保総合調査「29. 肺吸虫」https://www.fsc.go.jp/sonota/hazard/H22_29.pdf
- 食品安全委員会「寄生虫による食中毒にご注意ください」https://www.fsc.go.jp/sonota/kiseichu_foodpoisoning2.html
- 東京都保健医療局「食品衛生の窓」肺吸虫、および東京都多摩小平保健所 食品衛生情報(2025年3月発行号)
- 東邦大学医療センター大森病院 臨床検査部コラム「サワガニにまつわる寄生虫」https://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/kensa/column2/2023/column_118.html
- 一般社団法人日本呼吸器学会「A-10 肺寄生虫症」https://www.jrs.or.jp/citizen/disease/a/a-10.html
- 静岡県「内水面における漁業権、漁協及び遊漁規則について」および静岡県内水面漁業権一覧
- 岡本一利「静岡県浜名湖の漁獲物からみたモクズガニの繁殖生態」水産増殖 52巻1号 81-89頁(2004年)
- 茨城県水産試験場「いばらきの川の幸 おいしく食べciao!」モクズガニのゆでがにhttps://www.pref.ibaraki.jp/nourinsuisan/suishi/kanri/recipe/mokuzu/documents/mokuzu1.pdf



