魚釣りをしている時、教え魔が来たことはないけど、
「釣れますか」
と聞いてくる人はかなり多い。
この問いかけを釣り人にすることは、心理戦を挑んでいるのと同義だと知ってほしい。
「釣れますか?」に込められている思い
釣り人に対して「釣れますか?」と聞く意図はなんだろう?
その問いにどんな答えを求めているのか──。知らない土地で釣りをしている人が居ても、声をかけようと考えない私にとって、導き出せない答えである。心理学専攻なら論文にしたいところ。
……ふつうに考えて、会話をはじめるキッカケ、だよね。
ただ、一般が釣り人にどんな会話を求めているかは未知数だし、釣り人同士となると、心理バトル開始の合図にもなりえる。
魚が釣れる情報は、そこで釣りをしないと手に入らないもの。
だから釣り情報は価値があるわけで、釣り人なら誰でも(チョロく)釣れる場所は知りたい。
今話しかけてきているこの人は……一般なのか、それとも”敵”なのか。
「釣れますか?」の声がした方向を振り返る時、魚を釣るよりも緊張が走る。
一般人の「釣れますか?」
漁港や管釣りなど、閉塞した場所に釣り目的以外が立ち入ることはほぼありません。
そのため一般(通りすがりの人)に、「釣れますか?」と声をかけられるのは、歩道が近くにある場所が大半。
この時に声をかけてきた人は、一体どんな答えを望んでいるのだろう……。
「釣れた」と答えた場合、年配だと「自分も昔ここでやった」とか、「どこそこのほうが釣れるよ」とか、軸が武勇伝に移っていくことが多い気がする。
子連れ親子の場合は、(釣れた魚を子供に見せて欲しい)の願いが言葉の裏に隠れている。命の大切さを説くなら、水槽で飼育をはじめるほうがいいんじゃないかと思う。
──「釣れない」と返答した場合、そこで会話が打ち切りになることも多い。けれど、どんだけ会話に飢えてんだよと思うほど、食い下がってくる人もいる。
年配相手は適当に相槌かましてればいいけど、最も厄介なのがウェイ系子連れかもしれない。
あわよくば体験させようと画策するし、野放しになった子供がフリーダムに蹂躙していくこともしばしば。
そういう状況を何度か経験したけれど、一体何を求めているのか、未だに図りきれないでいる……。
しいていうなら、一般が釣り人に話かけるキッカケは、『バケツの有無』の節がある。
特に魚を活かしていると、もう止まんないよ。
釣り人の「釣れますか?」
釣り人の「釣れますか?」には、釣れるor釣れないの確認が込められている。
”釣れる”のならやってみたいポイントのひとつに入るし、あわよくば釣れた方法を知ることもできるため、効率が良い方法といえる。
もし”釣れない”のなら、ここは候補だったけど除外できるから、無駄な時間を過ごすことがなくなったため、こちらも効率が良いかもしれない。
──ただ、同じ釣り人である以上、同じ思考をしているわけで、”言葉の裏”を読みきれないわけがない。
バカ正直に一級ポイントを教える人はいないし、釣れた釣法も隠したいのが釣り人の心理。
なので、同じ釣り人同士での「釣れますか?」には、牽制の意味が込められている。その言葉を発してしまったら、背景に「ドドドド」とか「ハァ…ハァ…」とか「ざわ…」などが浮かんでいる。
……二郎バトルのコピペを思い出すな。
人が近くに来れない釣りだとストレス軽減されます
住宅地が近い陸っぱりほど、「釣れますか?」の攻撃を受けやすい。
それを嫌うなら、一般人が立ち入れない釣りを選ぶといいでしょう。おすすめは干潟のウェーディングです。
水に入りながら「釣れますかー!」とバラエティムーブしてくる経験は流石にないし、大声で「ヴォーイ!」とか発せられても、聞こえないフリをすればOK!
あとは”声をかけないでくださいオーラ”を出すとか、張り紙を用意しておくなど、神経質かつコミュ障なら、対策しておくべきかもしれない……。
まぁ、「釣れませんね」でだいたい会話は終わります。
もし雑談がしたいのであれば、活かしバケツなど「アイツ魚持ってそう」なオーラを出すと、入れ喰いです。