魚食大国である日本は、魚を食べることは大好きなのに、それを捌ける人が少ない矛盾がある。
最近は鮮魚が売れにくく、温めるだけの加工済や調理済の「時短調理」が台頭している。
忙しいが口癖の日本らしい。
そんな中、時代のニーズに逆らうような鮮魚店が存在する。
東京都台東区にある『おかしらや』は、”そのままの魚”を販売している珍しい鮮魚店。
捌ける人が減ったとしても、「お得と鮮度」があれば売れるんだなと。
鮮魚しか扱わない鮮魚店
「魚食にっぽん」にあった記事を見て、こういう魚屋が欲しいなと純粋に思った。
忙しい人向けにまとめると、「魚を捌くコストを省き、それを価格に還元したら、意外と顧客に喜ばれた」みたいな内容。
魚を捌ける釣り人は多いと思う。花嫁修業として料理を学んだ女性もそれなりにいると思う。
捌けない人が多くなった理由は、捌く必要がないから。
加工済みパック売りにレンジアップ商品が大半を占め、そうなった背景には、共働き家庭が当たり前になって、料理をする時間がないことも挙げられます。
家庭で鮮魚を見る・触れることも減ったから、子供は「魚は切り身で動いている」と覚えてしまうのも、笑ってバカにできる状況でもないでしょう。
なんたって原因は、今の大人達にあるのだから。
魚を捌くにも技量はいるし時間もかかる
スーパーの鮮魚コーナーでは、持ち込みで捌いてくれる店もあります(有料)。
家でやると臭いも残るし生ゴミ処理も面倒。なので委託するほうが賢いかもしれません。
しかし何を勘違いしているのか、「無料でやってくれ」と頼む人が多いらしい。ただ店に訪れて、利益を落とさず時間を奪っているのに、こちらのためというのは”暴君”すぎるでしょう。
そんな『お客様は神様理論』への反論だろう一文が目を引いた。
ある鮮魚小売店の店主がつぶやいた。「床屋は髪を切ってお金をとるのに、なぜ魚屋は無料で魚を切らなければならないのか」
いやその通りだなと。
ゴミ収集やら清掃など、清潔を維持する仕事は誇るべきだし、人の役にたっている。
よく「人の役に立つ仕事に就きたい」とか聞きますけど、相手に対価をもらえるなら、それは誰かの役に立っています。
額に差はあっても、内容に貴賤はありません。
流行は循環していく
服の流行が10年スパンで巡るように、魚屋も”古き良き”を求められている。
衛生がどうとか、捌くのが面倒だとか、昔に比べ不漁で高くなったとか──。昔に比べて値段が高くなっている理由はそれぞれ。
でも値段があがっているのは、購入側のワガママのせいです。
ある鮮魚店の試みは、「加工しなきゃ売れない」をただの思いこみと証明しました。
最もな理由(付加価値)さえあれば、鱗のついた魚だって売れるし、値段が安ければ我慢しどころも見つかるわけで、顧客も納得してくれたわけです。
こんな感じの鮮魚売り場が増えることで、マッマに連れられた子供も魚に対しての興味が沸くし、水族館に行くより最寄りで安上がりでは?
個人的には、ポピュラーではないマイナーな魚が出回ってほしいですね。寿司ネタの定番より美味い魚なんて、この世にいくらでも存在します。
『魚食にっぽん』には、他にもコラムが多くあります。
時間がある時に目を通すと、水産業界への興味も深まりますよ。