「日本○ね!!」が流行語入りし、ガソリン会長が笑顔で会見したのも最近のこと。
それに便乗するわけでもないが、似たような内容の記事を書こうと思う。
水産庁からもマークされる勝川俊雄氏のブログ記事、「マグロの国際会議で日本がフルボッコにされたようです」のはてブコメントを見ると、一般の目からも「おかしい」と映るのが日本の水産業界の惨状。
漁師が「魚が獲れない!日本○ね!!」って叫ぶのはアリだが、釣り人がそれを口にする資格はないと、私自身も思っている。
海の釣り人と水産庁は、言い訳と必死さが、どことなくタブって見えるせい。
「広い海からマグロが居なくなるわけないだろwww」
そう思っていそうなのが、ザルな資源保護を提唱している水産庁と、釣れるだけ釣るタイプの釣り人。
物言わぬ自然のせいにしたがる両者、だが自然を破壊するのも人間である。
綺麗事だけ並べる業界には、心底うんざりしているし、こういう話題を広めない釣り人にもうんざりする。
マグロの漁獲制限については数回記事にしているけれど、調べる過程で、日本のアホさに磨きがかかっていると気づいてしまう。
絶滅危惧入りしたウナギとマグロがそうなったのは、そもそも獲りすぎと消費しすぎが原因。
それを知ってか知らずか、種を増やす努力が、「養殖してるし、放流しているやん?」で納得してしまっている残念さ。
そもそも完全養殖が確立されていないのに、それで種が増え続けることはほぼありえない。
ノルウェーの漁業から学ぶ日本の漁業改革
まずはこちらにちょっと目を通して頂きたい。
ノルウェーの漁業に関して、大体の人がこの記事と似たような意見を持っているかもしれない。
このブログ記事を読んで、元水産庁なのにこんな記事が書けるのかと頭が痛くなった。
小難しいことをいっているようで、実際の結果からは逃げ、持論で乗り切ろうとしているのが滑稽に見えた。
ノルウェー政府が行った資源管理に、当の漁師達はもちろん反対。
「収入が減る!」「船を降りて○ねというのか!」と、ありきたりな意見があがったが……
“資源を増やす漁業”に結果が出てくると、「やってよかった」意見が9割以上のものぼった。
これは反対意見が全て賛成に変わった数字といえる。ツンデレかよ。
とにかくノルウェーは、資源管理と価値ある漁業の成功事例として、世界的に有名になった。
日本に輸入されるサバが異様にデカく見えるのも、漁業の在り方を変えた結果です。
1匹の価値を飛躍的に上げて成功するのが、資源管理による儲かる漁業である。
実際にやっていることは特に難しいことでもない。
リンゴやミカンがどうやって収穫されているのか思い浮かべてくれれば、自然と答えは出てくる。
左のグラフで漁船と漁業者は減っていることはわかります。
右のグラフを見ると、漁獲量と漁獲高は比較的安定していることがわかる。
漁業者が減っても漁獲高は水準を保っている……つまり、1人あたりの漁獲量は上昇していることになる。
それが何をもたらしているかといえば収入増。
だから「やってよかった」という意見に繋がるわけです。
ノルウェーのやっていることは、リンゴやミカンの木から成った果実だけを取る手法。
日本のやっていることは、成る果実だけじゃ足りないから木ごと引っこ抜いて売る手法みたいなもの。
落ちる果実だけ頂戴する我慢さえあれば、自然は応えてくれる。
ノルウェーと日本の違いについては、こちらが正しいし、詳しいかと。
漁業従事者が減少した割に、漁獲量と単価が上昇する理由は、1匹が小魚の倍ある要因が大きく、成魚だけを獲るようにする取り組みが発達したから。
印象的だったのは、シニョール号が小さな未成熟魚を避けていたことだ。「親の敵と魚は、見たら逃すな」という日本の漁船とはずいぶん違う。漁船ごとに漁獲量を割り当てる資源管理(IQ方式)の効果を見せつけられた思いだ。
ノルウェーはTAC制度とIQ・ITQ方式で漁獲をコントロールしている。
TAC制度は対象魚種の「年間総水揚げ量の裁量」のこと。
IQは「個別割当」、ITQは「譲渡性個別割当」という方式。
いちご狩りツアーで例えれば、ツアーの客が入るビニールハウスがTAC制度のこと。
グループごとに「ここで取っていいですよ」と狩っていい範囲と容器を決められるのがIQ・ITQ方式みたいなもの。
それをいっても守らない連中はいるが、管理しないよりはマシ。
違反をすれば厳罰できる権利があるため、抑止力にも繋がる。
日本は国としての資源管理はガバガバだけど、地域での成功例は存在する。
日本国内の水産資源管理で成功している漁業、そして未来
愛知のイカナゴ漁と、静岡の桜えび漁は、地域自ら資源管理に取り組んで成功しているケース。
歴史的にもノルウェーより先進で、これらも「そんなん儲かるわけないやろ…」からはじまった取り組みだった。
それが今は伝統になったし、プール制は常識を変えた珍しい漁業の一例とされている。
成功を導いたのは、同士の絆が大きな要因であるといえる。
地域の資源管理の取り組みは、政治との戦いからはじまっている。
それは自らの生活を守るためだった。
漁業従事者が民間機関と協力し、水質汚染の解析から資源を回復する手法など、データ取りをして改善を行った結果という歴史がある。
ようするに、水産庁及び政府は特に何もしていないわけです。
事件は会議室じゃなく現場で起きているわけで……
政府は水揚げの数字だけで判断し、実態を知らないので「データはヤバイといってない」と思い込んでいる。
書類を見ただけで、現場を知らないわけです。
日本の漁業管理の現状と課題|勝川俊雄@三重大学
この絵が一番わかりやすいと思う。
6年マグロを獲るのを我慢すれば、予想される漁獲金額は100倍に上昇する。
現状は当歳魚の奪い合いをしており、わざわざ単価が安い魚を獲っている。だから量をとにかく揚げなければ採算が合わない。
──それは思い込んでいるだけだし、自らを追い詰めているだけ。
水揚げ量の「総重量」だけ見ると「……別に減ってなくね?」と感じるだろう。
そう捉えているのが、自分達で水揚げから加工まで行う大手水産業と政府達──それと釣り人です。
釣り人から学ぶ資源管理のザルさ
リリースサイズやポイントなどのマナーで揉めつつも、自ら首を絞めていることに気づかない釣り人達は平和そのもの。
「釣りは遊びであり、制限なんてもってのほか!」と思い込んでいる人が多い。
でも魚釣りは「遊漁」という漁業法の一部。
「獲りすぎない」「釣りすぎないを」実行するだけで、豊穣の海は数年後に戻ってきてくれる。
そうなるためにも、個人から地域へ浸透していく取り組みをしなければならない。
ゴミを拾えば魚が戻ってくるわけじゃない。
放流すれば翌年たくさん釣れるわけでもない。
マナーや生命観を綺羅びやかに語りはするが、マグロの規制がほぼ決まったと同時に、マグロ釣りがフィーチャーされるクソな業界。
これはウナギも同様で、レッドリスト入りしてから、ウナギ釣りの特集が増えたのも確か
。
特定外来生物法に反している生物が放たれるのを悪とするが、その知識も曖昧なのが釣り人である。
……すべてが悪とはいわないが、自ら破滅へ進む釣りに携わる人々を見ていると、フルボッコにされる日本の水産トップとなんら変わらないなぁと。
「そんな必死こいて魚を求めて楽しい?」と、最近は思っている。