今日のアジェンダは、釣り場におけるトイレ問題。我々はソリューションすることができるのだろうか。
※この世界線では、トイレがない前提で話を飛躍させています。
もし釣り場にトイレがなかったら……どうする?
自然で遊ぶアウトドアにおいて、糞尿をどうするかは難題です。
基本的に、トイレと指定された以外でするのはNG。なくてもするなら土に埋めるのがマナー。
よく「肥料になるからOK」の意見もありますが、微生物が居ればの話であって、条件から外れれば異物が未来に残るハメになります。
自然にとって人間の痕跡は異物の考え
アウトドアで野糞をする際は、掘った穴にまろび出して埋めるのがマナーとなっております。
飼い犬や猫だって、土(砂)があると穴を自分で掘るでしょう? DNAレベルで”正解”を刻まれているわけですねぇ。
アウトドア界の重鎮ともなると、野糞の経験値で講演会もイケますし、本を出版することもできる──。
何事も突き抜けるほど面白くなるのです。
致した後の尻を拭いた紙は、絶対に捨てないでください。市販の物は微生物が分解できませんし、動物に掘り返されると、ゴミが散乱することになります。──ということは、そのへんに生えてる葉っぱを使えば、なんの問題もないと……。
水中で用を足すのは倫理的にアウト。自然的には「いいぞ」なのか?
土中は問題ないことはわかったけど、水中はどうなのだろうか。
どの国も近代化(水洗トイレに下水道整備)が進むまでは、川や海に垂れ流していました。日本では浄水場が完備された昭和の終わり頃まで、”偉大なる母”に還していたりします。
かつて生活排水・工業排水が公害になっていました。勘違いしないで欲しくないのは、人が増えすぎたから自然の浄化機能が追いつかなくなった──が正解です。
現代ではコントロールされ、リスクはゼロに近くなっています。たまに”事故”はありますが……現在、自然に戻される水は、ほぼほぼ無菌です。
「あれ?」って思いません?
何事も「やりすぎはよくない」ってことだね
海も川も山も、そこに暮らす動物たちは全て、食事をし、糞尿を垂れ流してきました。それは古代から近大まで続いてきた当たり前のこと。
しかし、ある種が増えすぎて密度が高くなると、露呈するのはトイレ問題であり、公衆衛生。
ローマやパリは古代でも特に人が集中した都市であり、住む人の糞尿をどうするか問題に悩まされていました。2階から放り投げたり、やりたい放題。
苦肉の策で裏通りに排水溝を作ったりしましたが、流れつくのは結局”川”。その時のセーヌ川は、そりゃもうひどい臭いだったとか。
日本でも江戸時代までは基本垂れ流しでしたが、肥溜めからの肥料という文化があり、自然へのダメージは深刻なほどじゃなかった。
人口はそこから爆発していくことになり、工業が栄えて有毒な排水を流してしまい、周辺の水域の富栄養化が加速していく。汚れた海や川が、ほんの最近まで存在していたわけです。
現在は逆に栄養がなさすぎて、自然環境で魚貝を育成する養殖に影響が出ています。
特に問題視されているのが瀬戸内海。観光資源である牡蠣の養殖に影響がではじめ、逆に栄養を注入しないとヤバイ状態になっています。
アウトドアを嗜む人たちに貧栄養化の進行を遅らせる効果があるかもしれない
人間の糞尿も、適量であれば海を豊かにするのではないか? とも考えられます。
だからといって「垂れ流し」をしたいとは誰も思わない。それだけ現代は綺麗なことに慣れてしまったから……。