釣れない言い訳を改善点に昇華するのは難しい

 

釣れた時にしか書かないブログもあるだろうけど、「そんなの捏造と同じやん?」と思っている。

釣れなかった内容をログにするのはたしかに難しい(沁みる)。失敗の理由を言い訳ではなく、”改善点”として説明することは難しい。

しかしながら、「トライ&エラー」を繰り返さないと、上手になっていかないのは事実。

 

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釣れない言い訳をどこに置くか

 

 

当ブログの釣行記は、「釣れた日記」と「釣れない日記」が半々。

釣れれば過程を説明しつつ「環境に感謝(笑)」すればいいだけ──。だが、釣れないとなれば、これを文章化するのは中々難しい。

でも釣れなかったということは、”その方法では釣ることができなかっただけ”とも受け取れる。

 

私がバカ正直に焼津へ行くのも理由がある。

移動時間が好きなこともあるけれど、ひとつのポイントの”顔”を、年間通して知ろうと考えた末の行動。ようするに”釣れないタイミングをあぶり出すため”で、その作業も10ヶ月を経過する。

 

「そこに居ないのなら、じゃあどこに居て、どうやって釣れるのか?」

そこまで考えて対策しないと、メソッドとかパターンだとかいえないと思っている。

 

 

釣れない釣りって何が楽しいの?

 

アングラーはおおまかに「魚を釣るのが好きなタイプ」と「魚釣りをしているのが好きなタイプ」に分けられる。

この違いがわかりやすい1ページが、「ヤマノススメ11巻」にある渓流釣りをしてみる回にあった。

 

 

 

理屈屋の釣りおぢさんが、はじめてのあおいちゃんに、自信の理論を展開するシーン。

「は…はあ…」、と引き気味になるのも致し方ない。

 

「釣れるのも釣れないのもひっくるめて釣り」

 

SNS上では『魚釣りが好き』が多く、ブログでは『釣りが好き』が比較的多い。私を含め、コラムにふりかえる人ほど、『魚釣りをしている時間が好き』だと思う。

この2パターンは、釣れるタイミングに行くか、好きなタイミングで行くかの違いにもなる。

 

魚にも空腹はあるので、食事のタイミングが存在する。

それを狙えば必然的に”釣れやすい”のだが、この情報を知る方法は第一に”知ろうとすること”からはじまる。先の2タイプはそれを教えてもらうか、自ら探るかの違い。

 

一箇所のポイントを数ヶ月見ていると、季節ごとの変遷を感じれるし、特定の状況下であれば釣れやすいことも感じてくる。

私は行けるタイミングで釣りをするので、時合はあまり気にしていない──というか、必要性がない。

魚の習性と生態を知ればおのずと釣り方が見えてくるのに、釣法が先行して魚のことを知らなすぎる人が増えていると感じる。

 

 

魚を釣る楽しみを継続したければ自分でコミュニティを作るべき

 

 

コンスタントに魚を釣りたければ、早い話──、釣れている時に呼んでもらえばいいだけである。

情報を共有できるコミュニティを形成するほうが、理に叶っているのは事実。なのでサークルのようにチームが存在するわけ。

 

釣れる場所を教えて」と尋ねることは簡単。だが、もし釣れなかった場合、どこに責任を負わせるのだろうか。

そういう人ほど、教えた人とポイントに文句をつけたがる。

モンスターペアレントと同じようなものだ。

 

 

失敗から学ばなければ成長しない

 

釣れなかった言い訳を押し付けるよりも、あと何を試せていなかったかを考えるほうが、次に繋がっていく。

失敗は恥じるべきではない。恐れるほうが恥である。

 

「成長する考え方」と「成長できない考え方」の違いが20年の研究で明らかに
by D. Sharon Pruitt自分の持っている知性やクリエイティビティを天性のものであり、自分の力ではどうにもならないものと考えている人も多いのですが、それこそが人の限界を決める思い込み

 

釣れない情報って安くみられがちだけど、その方法で釣れなかっただけかもしれない。気象状況と水温は毎日同じわけないし、「昨日は釣れてたのに…」も必ず理由がある。

全部釣られたのかもしれないし、群れが移動しただけかもしれない。そこに居るけど食欲がないだけかもしれない。

 

釣れない状況を積み重ねることで、釣れそうな場所も自ずと見えてくるのに──。

その価値に気づかないのは、成長を止めているだけともいえる。

釣りの雑学
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海釣りがメインで、たまに淡水もやります。2018年は身近な浜名湖で、ポイントを転々と釣り歩いてマッピングしたい所存。

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とある浜松アングラーの一生